【礼拝】11/7(日)

礼拝

 日時:11月7日(日)10:00
 場所:船橋中央家庭教会 礼拝堂
 説教者:車 世鍾 教区長
 題目:「全知全能なる天の父母様は、なぜ人間を創造なさったのでしょうか?」
 配信URL:https://youtu.be/PZAHjbOZe-k

 

訓読のみ言

 

 この新しい真理は、神の実在性に関することはいうまでもなく、神の創造の心情をはじめとして、神が御自身に対して反逆する堕落人間を見捨てることができず、悠久なる歴史の期間を通して彼らを救おうとして心を尽くしてこられた悲しい心情をも、我々に教えることのできるものでなければならない。 原理講論P.31

 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。 不作法をしない、自分の利益を求めい、いらだたない、恨みをいだかない。 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。 そしてすべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。コリント人への手紙I 13:4~7

 私がお父様に「心情とは何ですか」とお伺いしました。お父様は黙っておられましたが、「心情は内的な愛?」とおっしゃいました。愛を外的な愛と内的な愛に分けて考えてみると、内的愛は、ある愛の表現や表示をする前の愛、すなわち、根となる愛のことをいうようです。それで、性相的な愛が形状的な愛で表現されたなら、愛の具体的な行動が現れるのです。原理に関するみ言の証 P.140

 心情は神の性相の最も核心となる部分であって、「愛を通じて喜ぼうとする情的な衝動」である。
統一思想要綱P.52

 人間は誰でも生まれながらにして喜びを追求する。喜ぼうとしない人は一人もいないであろう。人間は誰でも幸福を求めているが、それがまさにその証拠である。そのように人間はいつも、喜びを得ようとする衝動、喜びたいという衝動をもって生きている。それにもかかわらず、今日まで大部分の人々が真の喜び、永遠の喜びを得ることができないでいることもまた事実である。
 それは人間がたいてい、金銭や権力、地位や学識の中に喜びを探そうとするからである。それでは真の喜び、永遠な喜びはいかにして得られるであろうか、それは愛(真の愛)の生活を通じてのみ得られるのである。愛の生活とは、他人のために生きる愛他的な奉仕生活、すなわち他人に温情を施して喜ばせようとする生活をいう。統一思想要綱 P.53

 欲望は達成されてこそ満たされる。しかるに大部分の人間にとって、喜ぼうとする欲望が満たされないでいるのは、喜びは愛を通じてしか得られないということが分かっていないからである。そして喜びが愛を通じてしか得られないのは、その喜びの根拠が神にあるからである。 統一思想要綱P.54

 ゆえに神の心情は、「限りなく愛そうとする情的な衝動」であるとも表現することができる。愛には必ず対象が必要である。特に神の愛は抑えられない衝動であるから、その愛の対象が絶対的に必要であった。したがって創造は必然的、不可避的であり、決して偶発的なものではなかった。
 そのように心情が動機となり、神は愛の対象として人間と万物を創造されたのである。人間は神の直接的な愛の対象として、万物は神の間接的な愛の対象として創造された。万物が神の間接的な対象であるということは、直接的には万物は人間の愛の対象であることを意味する。そして創造の動機から見るとき、人間と万物は神の愛の対象であるが、結果から見るとき、人間と万物は神の喜びの対象なのである。統一思想要綱 P.55

 万有原力が心情の衝動力と前エネルギーによって形成された原力の延長であるということは、宇宙内の万物相互間には、物理学的な力のみならず愛の力も作用していることを意味する。したがって人間が互いに愛し合うのは、そうしても、しなくても良いというような、恣意的なものではなく、人間ならば誰でも従わなくてはならない天道なのである。
 このように「心情と原力の関係」に関する理論も、また一つの現実問題の解決の基準となることが分かる。すなわち「人間は必ず他人を愛する必要があるのか」、「時によっては闘争(暴力)が必要な時もあるのではないか」、「敵を愛すべきか、打ち倒すべきか」というような現実問題に対する解答がこの理論の中にあることが分かる。統一思想要綱 P.58

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